(あ、)

それを見た瞬間、カイル・デュナミスは声を出さずに呟いていた。



カイルは今年で6歳になる。
素朴な人柄で真っ直ぐな気質のスタン・エルロン。気丈で勝気な、けれど優しいルーティ・カトレット。
そんな両親の経営する孤児院で、他の子ども達と同じく、沢山の愛情を注がれて育ってきた。

カイルは生まれも育ちもクレスタだ。子どもの行動力というものは案外侮れない。活発過ぎるカイルはこの年にして、クレスタの住民の顔は全て把握していた。
また、世界を救った「英雄」であり、それ以上にこの町の復興に尽力した両親は顔が広く、クレスタにおいて知らない事など無い。
人柄や実力から頼りにされているという事もあるが、何人もの子供を、それも各々背景が少し複雑な孤児達を育てようと思えば周辺の環境に配慮せざるを得ない。もちろん、カイルはそんな詳しい事など何も知らないが。

だから、カイル自身も、両親ですらも知らない人間がこの町にいるというのは、とても奇妙な事だった。

艶やかな黒髪に、宵闇の眼をしたカイルと同じくらいの年齢の、おそらく男の子。
子ども心に華やかな顔立ちをしていると分かる程で、また着ている服も顔に劣らず上等なものだった。
それだけにこの町では不調和で、目立って仕方が無いであろうその幼子の話は、しかし誰の口からも上らなかった。ただカイルだけがその姿を知っているのだ。


カイルが最初にその子の姿を見かけたのは、もう2年ほど前になる。

クレスタの町中で、ふと何かが気になって振り返ると、いつの間にか噴水の縁にちょこんと腰掛けていたのだ。ふらふらと足を遊ばせる事なく、随分と行儀良く座っている。反射で煌めく光の中、彼は微動だにせずじっとどこか遠くの方を見ていた。
それがカイルには不思議に思えた。孤児院の同じ年頃の子どもと言えば、大抵は遊び盛りで活発である。大人しい子でも、一人で何もせず町の中で放って置かれては、落ち着きなく辺りを見回す仕草の一つでもするだろう。
カイルはハッキリと言葉に表せなかったが、違和感だけはしっかり感じとっていた。
精巧に出来た人形のようだ。その男の子の瞳には、何の感情も映っていなかった。

< どうして、そんな顔してるのさ… >


カイルの意識が逸れている事にやっと気付いた保護者が、彼の手を引いて注意を促す。
迷子になっても知らないよ、と笑う声に上の空で返事をしながらもう一度噴水の方を振り返ると、眼を放していた間に男の子の姿は消えていた。

ほんの短い時間の出来事だ。ただカイルが一方的に見ていただけの。
お世辞にも記憶力が良いとは言えないカイルが、それでも覚えているのは、子どもらしくない子どもを初めて見たという違和感と。
何故か、本当に何故なのか分からないが、あの紫苑の瞳を見ている内に、不安に似た感情が湧き上がってきたからだった。

< 心配だよ、意外と不器用で、自分に厳しい人だから >


二度目の邂逅は、数ヶ月後だった。
孤児院の横を流れる用水路の橋の上に、これまたいつの間にかちょこんと座っていたのだ。カイル達が同じ事をしようものなら、両親に危ないからと盛大に怒られるだろう。
揺らぐことなく座っている様子に落ちる心配はないだろうけれど、一応大人に言っておいた方が良いかと思ったカイルは、同じ部屋の中にいた父親に声を掛けた。
あの子、新しく孤児院に来る子なの?と、窓の外を指差しながら、父に聞く。
父はカイルの指した方向とカイルの顔を交互に見て、首を傾げながら窓際に寄って来た。カイルは見やすいようにと、少し身体を引いた。
しばらく外を眺めた後、顔を戻した父が、誰かいたのかい、と不思議そうに聞いてきた。
驚いたカイルが男の子の座っていた橋を振り返ると、もうそこには誰もいなかった。
また眼を離した一瞬で、いなくなっていたのだ。

< 会いに来てくれたの?ここが帰る場所だって、そう思ってくれてたのかな >


そういう事が何度も続くと、さすがのカイルもその男の子が普通の人間ではない、幽霊のようなものではないかと思えてきた。しかし、人では無いと分かっても、カイルは彼に危機感や恐怖といった感情を抱く事はなかった。彼は何をするでもなく、ただ佇んでいるだけだ。実際、彼が来る前も、来た後も、クレスタに異変など一つも起こらなかった。
何も起こっていないのに、それを誰かに話すことは出来なかった。他の人には見えていない彼をカイルが言葉で説明するのは困難だったし、そもそも誰かに相談するという考えを、不思議とカイルが持つことはなかったのだ。

忘れた頃に現われる男の子。現われてはすぐに消える、幻のような存在。
最初に見た時から抱き続けていた不安に似た思いは薄れることはなく、男の子の姿を見かける度に強くなっていった。
話したい。傍に行きたい。触れて、確 か め な け れ ば な ら な い の に 。


不安が募り酷い焦燥感に変わる頃、しかしそれはあっさりと氷解した。

「なんだ…」

拍子抜けしたような気分だった。
カイルの視線の先で、小さな白い手が、大きな手にそっと包み込まれていた。
やさしくやさしく、傷つけないようにやんわりと、けれど心細くないようにしっかりと。

(迎えに来てくれる人、いたんだ…)

その日、カイルは一人で、孤児院から少し離れた草原まで遊びに来ていた。黄昏時になって、そろそろ帰ろうと踵を返すと、いつものように突然あの男の子がいたのだ。
ただいつもと違ったのは、カイルとその子を遮るものが何もなかった事。あるいはカイルの瞬きだけが、遮るものだった。
眼を離すと消えてしまう。いつになく、カイルはじっと彼を見つめていた。

虚ろな目をして佇んでいた男の子が、突然、はっと顔を上げた。
ぱちりと長い睫毛が瞬く。次の瞬間には、人形は人間になっていた。

ふわりと口元を綻ばせて、男の子は自分に向かって差し伸べられていた青年の手に、自らの小さな手を絡まる。
慣れた様子で、青年は男の子の手を握り返し、ゆっくりと歩き出す。その一連の動作は、カイルに母親を思い出させた。
安堵、やすらぎ、信頼、慈しみ、慕情、愛おしさ。
そう、きっと、守るように手を繋いで歩く青年は、あの男の子の「家族」なのだろう。

(うん、よかった)

ずっと見つめていたカイルに気付く事なく、手を取り合った二人はさわさわと揺れる穂波の向こうへと歩いて行った。
それを見届けて、やっと、あの男の子を見た時からカイルの胸の奥で燻ぶっていた不安が、綺麗に消え去ったのだった。



「カイルー!何やってんの、帰るわよー」

遠くから、母親の声が聞こえる。
どうやら自分にも迎えが来てしまったようだ。思ったより長い時間、ぼんやりしていたらしい。

心配をかけ過ぎると、あの母は怒り出す。経験からよく分かっているカイルは、さっと走り出した。
遅くなってごめん、と怒られる前に謝っておく。
けれど、そんな息子の心理を母は頓着する様子もなく、カイルの顔を覗き込んできた。

「あら、機嫌いいわね。なぁに、良い事でもあった?」

一人で遊んでいたはずの息子の様子が、予想よりも遥かに良かったのが気になったのだろう。

(あったといえば、あったかなぁ)

理由は誰にもいえないけれど、長い間不安だった事が解消されたのだ。心が軽くなって当然だろう。
へらりと笑う息子を不思議そうに見ながら、母は無理に聞き出そうとはしなかった。代わりに、しょうがない子ね、と言うように笑っていた。
母がやわらかく笑っているのを見ると、カイルは無条件で嬉しくなる。

「へへ、早く帰ろう、母さん」

さっき見たばかりの、親子の仕草を思い出しながら、カイルは母の手をとった。

(あの子が、笑っているのを初めて見れたのだから、それはやっぱり良い事なんだろう)



< よかった、本当によかった >

< 独りじゃなかったんだ、今も一緒にいるんだね >

< やっぱりあのまま消えて終わり、なんて寂し過ぎるよ >

< また逢えて嬉しい、この世界でまた逢おうね、ジューダス >






■ほらね、言った通りだろ?例え記憶が消えてしまっても、この絆が消えるなんてこと、絶対ないって。

いつか辿り着くよ。俺を待っていてくれる人達のもとへ。だからその時まで、さようなら。

D2ED後設定な「穂波」の補足ss。カイル視点。
絵だけだと本当に何が何だか分かりませんからね。「穂波」はこういうイメージで描いた絵でした。

灰色の部分は、一緒に旅をした16歳のカイルの心情です。
修正されて記憶がなくなっても、奥底で残っていたから幼少カイルはエミリオが気になって仕方がなかった、という話です。

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